町内会も解散する時代に !!

武蔵小杉駅(川崎市中原区)近くの「小杉町3丁目町内会」が解散することになった由。タワマンが乱立して世帯数と人口が増えても新住民の町内会加入がなく加入率は55%ほどに落ちていた。町内会が主体の防災防火活動や交通安全、地域清掃、運動会、球技大会などが若い現役勤労者世代が見向きもしなくなっている上に高齢化も進んでいる。旧態依然の運営体勢も嫌われる要因の一つだ。
そもそもが昭和15年ころ、内務省(現総務省)が国策の徹底を図るために行政の末端組織として設置した。やがて戦争に国民を総動員する大政翼賛会の下部組織になった。戦後、町内会はGHQにより解散禁止されたが、講和条約の発効に伴い、各地で自主的な自治会(町内会)が再び組織されるようになった。法的には何ら効力はないが戦前の慣例が残り、事実上の行政末端組織として運用されてきた。